ごみ減活動レポート『ごみにまつわる映画祭』第2回

映画「ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡(原題:WASTE LAND)」を通して、「ごみ」の価値を考える

「アート」という言葉を聞くと、高価できらびやかな、日常とはかけ離れたものを想像する方が多いのではないでしょうか。しかし、世の中には私たちが普段「ごみ」として捨てているものを「アート」として蘇らせている人たちがいます。平成27年1月30日(金)に開催された『ごみにまつわる映画祭』では、「ごみアート」によって、人々の意識が変わっていく過程を追ったドキュメンタリー映画「ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡」を上映。20代〜60代の、32名が集まりました。


映画の主人公は、ブラジル・サンパウロ出身の現代美術家、ヴィック・ムニーズ。アメリカ・ニューヨークを拠点とし、20代で作品を創り始めた彼は、貧困と労働に苦しむ子どもたちの姿を砂糖で描く(Sugar Children,1997)など、社会的なメッセージの強い作品を次々と発表します。今では世界から認められているヴィックが、故国ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ郊外にある世界最大のごみ処理場「ジャウジン・グラマーショ」を訪ね、そこで暮らす人々の喜怒哀楽に寄り添いながら、彼らと共に世界に一つだけの素晴らしい作品を創り上げていきます。


今回の上映会には、自らも「ごみ」に新たな命を吹き込み、ユニークな発想で作品を創り続けるアートユニット・淀川テクニックの柴田英昭さんがゲストとして招かれました。映画上映後には、ヴィック・ムニーズの活動とも関連させながら、より「ごみ」と「アート」の世界を身近に感じられる楽しいお話を伺うことができました。柴田さんが「ごみ」でもの創りを始めたのは、十三の淀川河川敷。淀川という、ちょっと不思議な場所で、友人の松永和也さんと共に、夢中になってものを創っていたといいます。2003年には、二人でアートユニット・淀川テクニックを結成。「不要」で「やっかいなもの」として扱われる河川敷の漂流物に、新たな価値を見出す淀川テクニックの創作スタイルはこの頃から変わっていません。大阪湾の河口に流れ着いた「ごみ」で何か作品を創ってくれないか、と大阪市港湾局から依頼があり、金属パイプやタイヤなどのごみをうまく組み合わせ、巨大な魚(チヌ)を創り上げた経験も。その後も、国内外の土地で出会った「ごみ」たちに、新たな命を吹き込んでいます。

2014年に国立国際美術館で展示されたLet's Become garbage!(みんなでゴミになれる!)という作品では、縦4.5メートル、横7メートルをごみで埋め尽くすために、淀川で計4回ものごみ拾い大会が行われました。ある日、松永さんから「やばい!別の団体が700人規模でごみ拾いをしたらしい!」と連絡があり、柴田さんも焦ります。1週間後に予定されていたごみ拾い大会では、参加スタッフが一丸となって「ごみ」を捜索し、前の団体が拾い切れなかった中州などのごみもしっかり回収しました。「僕らには、何としてもごみを集めなくてはいけないという切実な動機があるので、気合いが違いますね!」と柴田さん。会場は、笑いの渦に包まれました。「淀川テクニックさんが使用するごみには、何かルールがあるのか?」という参加者からの質問には、「できるだけ、拾ったままの形を活かせるように考えています。」とのこと。最近では、子どもたちがごみを自由に組み合わせ、面白いものを創ろう!というワークショップが大人気で、中には大人が熱中するケースもあるそうです。素材は、事前に洗って異物を取るなど、安全への配慮もされています。「最初は素材がごみと知って軍手をはめている子どもが、その内細かい作業をするために軍手を外して夢中になる。そうなると、やったー!と思いますね。」ヴィック・ムニーズと柴田さんの活動を通して、「ごみ」を見る目が違ってくる。私たちの意識が変わると「ごみ」の価値も変わることを教えて頂きました。

(松村 香代子)

ゲストの略歴

アートユニット・淀川テクニック 柴田英昭さん

1976年、岡山県生まれ。2003年に松永和也さんとアートユニット・淀川テクニックを結成。大阪・淀川の河川敷を活動の拠点として、落ちているゴミや漂流物などを使い様々な作品を制作している。元のゴミの姿からは想像もつかないような見事な造形物を造り上げてしまうふたりのパフォーマンスは、いつも観るものを驚かせてくれる。

徳正寺

京都市下京区富小路通四条下る徳正寺町39
室町時代から続く浄土真宗大谷派のお寺。陶芸家の秋野等氏が住職を務める。建築家、藤森照信氏による茶室「矩庵(くあん)」が有名。

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