平成29年度:京都土産エコ包み学習会 レポートその2

[目指せ!京都土産エコ包みプロジェクト②] 
[平成29年9月3日取材]

めざせ!京都土産エコ包みプロジェクトの第2回エコ包み学習会(平成29年9月3日開催)のテーマは、「観光と土産物」。講師には、江戸の旅文化に詳しい神崎 宣武(かんざき のりたけ)氏を迎え、旅と土産物の深い関係や、そもそも土産物とはどういうものなのかについて、詳しく教えて頂きました。会場は、梅小路公園内の緑の館。21名が集まり、中には大阪からの来場者もありました。素晴らしい庭園を眺めながらの講義は、神崎氏の温かいお人柄とも相まって、終始和やかな雰囲気で進められました。
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歴史から紐解く、旅の起源

時は、江戸時代初期。1602年に徳川家康が江戸幕府を開き、その後、諸大名への参勤交代制を定め、江戸への主要街道・宿場の整備を推し進めました。この大事業は、街道周辺の人々の出夫(労働)や年貢米を拠出する割合が7公3民、6公4民と定められるなど、大変重い税によって支えられたといいます。このような苦しい暮らしは、約60年間続きました。一方で、街道が整備されることにより、大人数が安全に、より快適に旅ができるようになりました。世の中が徐々に安定し、市井の人々の収入に余裕が出てくると、この街道を利用した「旅」が盛んになってきます。江戸時代以前は、旅とは厳しく、危険や困難が付きまとうものでしたが、元禄時代以降は、旅が少しずつ身近なものになってきました。

旅と土産物の関係とは

しかし、と神崎氏は前置きをし、「皆さんは、江戸時代、人々が『むやみに村や家を離れてはならない』と定められていたことをご存知ないですが?」と問いかけます。慶長のお触書には、「遊山好きの女房とは、たとえ見目麗しくとも即刻別れろ」という内容まで書かれてあるそうです。神崎氏は、市井の人々が勝手に村を離れないように諌める内容のお触書に「但し、寺社詣での場合のみ、この限りではない」という一文が入ることがポイントだと仰います。つまり、人々の自由な往来が制限されていた時代に、寺社詣でだけは特別扱いだったわけです。人々は、「天下太平、五穀豊穣」などの幟を掲げ、こぞって寺社詣でに出掛けます。特に人気だったのが「伊勢参宮」、お伊勢参りです。しかし、寺社詣でとは言え、皆が皆、好き勝手に行くことができたわけではありません。農閑期などに、村の代表が参拝に訪れました。代表は、村の全戸から集めたわらじ銭(餞別)を旅銭とし、お伊勢参りを果たします。その証拠として、御師(おんし、おし)と呼ばれる寺社案内人(今日の旅行業者)が発行する「御札」を全戸分持ち帰りました。また、御札と共に、御神酒を頂いた盃(笥(け))を持ち帰り、おかげ(ご利益)の分配をしました。これが宮笥(みやけ)、「みやげ」の起源だと言われています。寺社からの授かりものが主流であった「みやげ」ですが、寺社詣での人数が増えてくると、寺社から授かった宮笥だけでは数が賄えず、宮笥に準じる記念品や土地の名産を売る店が賑わい、門前町を形成します。「みやげ」に「土産」の文字を充てるようになったのには、このような経緯があると言われています。

土産物の特徴とは

当時の土産物の特徴は、歩く旅が主流のため、軽くて崩れない、腐らないものであることが挙げられます。例えば、おしろいや櫛、薬や水銀、砂糖や浮世絵などです。伊勢では、伊勢おしろいや生姜糖、萬金丹(薬)などが有名です。また、確かに目的地に行ったことを示す役割もあるため、地名や名物が記されていることが重要でした。今日の日本のお土産に、地名や名物が印刷されているものが多いのは、この名残と言えるでしょう。また、お土産の数もとても重要です。村に帰って、皆に等しく分配できるよう、分けやすく、たくさんであることも必要な要素でした。現在でも、職場などに用意するお土産は、全員分を等しく分けられるものが喜ばれます。個々人にではなく、属する場の皆へお土産を配る習慣は、日本独特の文化とも言えるのです。
旅の楽しみの一つとも言える「お土産」。選ぶ人も、もらう人も、その土地土地で見付けた美しい風景や素晴らしい体験を語らいながら、幸せのお裾分けをする。時代は変われども、家族や近しい人々の喜ぶ顔が浮かぶもの、それが土産物に秘められた力なのでしょうね。
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■会場には、多種多様な土産物の展示や、神崎氏の書籍の紹介コーナーもありました。

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